東京地方裁判所 昭和61年(ワ)3667号 判決
原告 山口勉
右訴訟代理人弁護士 森本紘章
被告 小島博
右訴訟代理人弁護士 杉原正芳
主文
一 被告は原告に対し別紙物件目録一記載の土地について、別紙根抵当権目録一記載の根抵当権設定仮登記及び別紙賃借権目録一記載の条件付賃借権設定仮登記の、別紙物件目録二記載の建物について別紙根抵当権目録二記載の根抵当権設定仮登記及び別紙賃借権目録二記載の条件付賃借権設定仮登記の各抹消登記手続をせよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)及び同目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。
2 本件土地には別紙根抵当権目録一記載の根抵当権設定仮登記及び別紙賃借権目録一記載の条件付賃借権設定仮登記が、本件建物には別紙根抵当権目録二記載の根抵当権設定仮登記及び別紙賃借権目録二記載の条件付賃借権設定仮登記がされている。
3 よって原告は被告に対し、本件土地及び本件建物の所有権に基づき2の各登記(以下「本件各登記」という。)の抹消登記手続をすることを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1及び2の事実は認める。
2 同3は争う。
三 抗弁(表見代理)
1 原告は、訴外澤田博に対し、本件土地及び本件建物(以下「本件土地建物」という。)を売却する代理権を与えた。
2 澤田博は、右代理権の範囲を超えて、本件土地建物に根抵当権を設定して被告から金員を借入れることを企図し、昭和六一年年二月一四日、息子である訴外澤田誠を原告に仕立て上げ、澤田誠において自分が原告本人であると称して被告との間で本件土地建物について別紙根抵当権目録一、二記載の内容の根抵当権設定契約及び別紙賃借権目録一、二記載の内容の停止条件付賃借権設定契約(以下「本件根抵当権設定契約等」という。)を締結し、被告は、同日金二、〇〇〇万円、同月一九日金四、〇〇〇万円をそれぞれ貸し渡した。
3 本件根抵当権設定契約等を締結する際、被告は澤田誠を原告であると信じたものであるが、被告がそのように信じたことについては次のような正当な理由がある。
すなわち、澤田博は、あらかじめ澤田誠をして原告と装わせて港区長に対して原告の登録印鑑の変更を申請させ、原告の新しい印鑑の証明書の交付を受け、澤田誠は、本件根抵当権設定契約等を締結する際、その印鑑と印鑑証明書を被告に提示したので、被告は澤田誠が原告本人であると信じたものである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実は否認する。原告が澤田博に付与したのは、デズニーランドにおつまみを納入するための交渉に関する代理権である。
2 同2の事実は認める。
3 同3は争う。被告は、合計金六、〇〇〇万円にも及ぶ高額な金銭消費貸借契約及び極度額金一億円の根抵当権設定契約を締結するにもかかわらず相手方において本件土地建物の権利証を契約時に持参することができないという重大な書類上の瑕疵を知りながらこれを慢然放置した過失がある。権利証がないという事実は、澤田誠が原告本人であるか否かについて通常人に疑いを生せしめるに十分な事実である。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因事実については、当事者間に争いがない。
二 そこで表見代理の抗弁について判断する。
1 被告の表見代理の主張は、原告から本件土地建物の売却の代理権を与えられた澤田博は、本件土地建物に根抵当権を設定して金員を借り入れることを企て、その息子の澤田誠と共謀し、同人において自分が原告本人であると称して被告を欺き、被告は正当な理由により同人を原告本人と信じて本件根抵当権設定契約等を締結し、合計金六、〇〇〇万円を貸し渡したというものである。
ところで、本人から一定の事項について代理権を与えられた者が本人自身であると称して右代理権の範囲を超える行為をした場合において、相手方がこれを本人自身の行為であると信じ、かつ、そう信じたことに正当な理由があるときは、民法一一〇条の類推適用により表見代理の成立を認めて相手方を保護すべきところ(最判昭和四四年一二月一九日民集二三巻一二号二五三九頁)、代理人が他の者と共謀し、当該他の者において本人自身と称して右代理権の範囲を超える行為をした場合においても、相手方がこれを本人自身の行為と信じ、かつそう信じたことに正当な理由があるときは、同条の類推適用により表見代理の成立が認められると解すべきである。蓋し、代理人が本人自身であると称した場合と代理人が他の者と共謀し当該他の者に本人自身であると称させた場合とで善意無過失の相手方の保護に差異を設けることに合理的な理由がないからである。
2 そこで、まず澤田博の基本代理権の有無及びその内容について判断する。
被告は、原告は澤田博に対して本件土地建物の売却の代理権を与えた旨主張する。
そこでこれを検討するに、《証拠省略》によれば、昭和六一年二月七日、原告は澤田博に対し、同人が用意してきた市販の委任状用紙に委任事項、年月日及び受任者欄を空白にしたまま自己の住所及び氏名を記載し(押印はしていない。)、これを交付したことを認めることができる。
しかし、これをもってしては、直ちに原告が澤田博に対して本件土地建物の売却の代理権を与えたものと認めることはできない。けだし、《証拠省略》によれば、そもそも原告には本件土地建物を売却する意思もその必要もなかったことが認められ、また、同結果によれば、右委任状は、原告の勤務するおつまみを製造販売する会社である「岡田亀や」がデズニーランドに帽子を納入している澤田博の紹介でデズニーランドにおつまみを納入する件で原告、澤田博及び同人が原告に対し、同人の会社の次期社長であると紹介した坂崎明がデズニーランドに行った際に作成されたものであることを認めることができ、右委任状を直ちに本件土地建物の売却に結びつけることはできないからである。
なお、証人中沢寿孝及び同坂崎明の各証言中には、原告が妻に離婚の慰謝料を支払うために本件土地建物を売却する必要があり、そのためその代理権を澤田博に与えた旨の証言があるが、これを裏付ける証拠は何もなく、また、後記認定のとおり両証人は、澤田誠が原告本人になりすまして本件土地建物を担保に借入金名下に被告から金六〇〇〇万円を騙取するにつき関与している者であって、右証言は直ちに採用することができない。
結局、右委任状は、原告自身が主張し、また《証拠省略》によって認められるとおり、原告の勤務する会社である岡田亀やのおつまみをデズニーランドに納入する件に関し、原告が紹介者である澤田博の求めに応じ、原告に代ってその交渉をする権限を与える趣旨で作成して交付したものというべきである。
右により与えられた権限の内容は漠として明確を欠くが、この権限も表見代理の成立の基礎となる本件代理権にはなり得るというべきである。
3 そこで、被告主張の表見代理の成否について判断する。《証拠省略》によれば次の事実を認めることができる。
(一) 原告の義理の叔父である澤田博、その息子の澤田誠、不動産業者の中沢寿孝及び坂崎明らは、澤田誠を原告本人に仕立て上げて本件土地建物を担保にして第三者から金を借り入れることを共謀し、昭和六一年二月一三日、右四名が港区役所に行き、澤田誠において原告本人になりすまして勝手に原告の印鑑登録証の亡失届を提出し、同区に印鑑登録をしている福岡芳春の澤田誠が原告本人に相違ない旨の内容虚偽の保証書をもって原告の新たな印鑑の登録を申請し、更に同日、港区長よりその印鑑の登録証明書二通の発行を受けた。
(二) 翌一四日午前一〇時頃、被告は金融ブローカーを営む磯亜紀雄から電話を受け、原告(実は澤田誠)が本件土地建物を担保にして金六、〇〇〇万円を借りたい意向であるとして原告への融資を依頼された。その際の磯の話しでは、原告は妻と別居中であり、妻の実家からも借金があるので、それらの解決のため、とりあえず同日昼までに金二、〇〇〇万円借り、二、三日後に残金四、〇〇〇万円を借りたいとのことであった。
(三) そこで被告は直ちに金二、〇〇〇万円を用意するとともに、磯に案内されて本件土地建物を外から見分し、更に東京法務局港出張所に行って本件土地建物の登記簿を閲覧し、本件土地建物が原告の所有であり、負担としては本件土地について相続税の担保のために約金二九四万円の抵当権が設定されているだけであることを確認し、金六、〇〇〇万円の担保価値はあると判断して融資することを決め、その足で渋谷にある磯の事務所に行った。しばらくして澤田博、澤田誠、中沢寿孝及び金川某が事務所に来て、澤田誠が自分が原告本人であると名乗ったので被告において実印と印鑑証明書の提示を求め、実印を薄い紙に押印し、その印影と印鑑証明書の印影とを重ね合わせて両者が一致することを確認し、もって澤田誠を原告本人と信じ、その場で、本件土地建物について本件根抵当権設定契約等を締結し、金二、〇〇〇万円を貸し渡した。
その際の澤田誠の話しでは、本件土地建物の権利証は妻が実家に持っていっているが、金二、〇〇〇万円は妻の実家から借りているからとりあえずそれを払っておいて、二、三日後に妻に離婚の慰謝料として金四、〇〇〇万円を支払えば権利証は返してもらえるので、そのときに根抵当権設定登記の本登記をするので、それまではその仮登記をしておいてほしいとのことであった。
(四) 被告は翌一五日、本件各登記の申請手続を司法書士に依頼し、同月一七日に本件各登記がされたが、翌一八日、磯から被告に電話があり、翌一九日に原告に残金四、〇〇〇万円を貸し渡してほしい旨依頼したので、被告は同日、金四、〇〇〇万円を用意して磯の事務所に行き、前日同様原告本人と名乗る澤田誠に金四、〇〇〇万円を貸し渡した。
その際、被告が澤田誠に同道して原告の妻のところに権利証をとりに行こうとすると磯がこれを制止し、被告は忙しいであろうから自分が代わりに行って権利証をとってくると言ったので被告はこれを信用して澤田誠について行くことはしなかった。
(五) その後被告は磯に対して権利証の引渡しを要求したが、磯は、原告は銀行から借り入れて直ちに被告に債務を弁済する等のことを申し向けてはぐらかしていたが、同年三月二四日、被告に対するのと同様の手口で澤田博及び澤田誠らから金を騙取されたという秋葉原の金融業者から連絡があり、澤田誠が原告ではなく、被告は金六、〇〇〇万円を騙取されたものであることに気付いた。
以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
以上認定した事実からすると、被告は、原告の代理人である澤田博と共謀した澤田誠の行為を原告本人の行為と信じて本件根抵当権設定契約等を締結したものと認めることができる。
そして、前認定のとおり、被告は、磯の事務所において、同人のほか、初対面ではあるが澤田博及び金川某の同席のもと原告本人と名乗る澤田誠に対し、実印及び印鑑証明書の提示を求め、これによって澤田誠を原告本人と信じたものであるから、被告がそのように信じたことに無理からぬ面があることは否定できない。
しかし、澤田誠は本件土地建物の権利証を所持していなかったところ権利証は不動産取引にあたり本人確認の有力な資料となり、また根抵当権設定登記を申請するための必要的添付書類であるから、本人と称する者が権利証を所持していないとすれば、金融業者たる被告はその所持していない理由を質すのは当然、更にその真偽を確かめ、もって相手方が真に本人であるか否かを確かめる必要があるというべきである。
澤田誠が原告本人としていた説明は、権利証は原告の妻が実家に持ち帰っており、また実家に対して金二〇〇〇万円の借金があるので、被告からの借入金でもって実家に金二〇〇〇万円支払い、更に妻に離婚の慰謝料として金四〇〇〇万円を支払えば権利証を取り戻せるというものであるから、被告が妻に電話をするなどして右説明の真偽を確かめることは極めて容易なことであり、また、原告が被告の妻に対する右のような確認を控えるべき合理的理由もないのである。そして被告がまさに一挙手一投足の労ともいうべき右確認手段さえとれば、澤田誠が原告本人でないことは容易に判明したはずである。
それにもかかわらず、被告は澤田誠の説明に何ら疑いを持たず、その真偽を確かめることなく澤田誠を原告本人と信じて本件根抵当権設定契約等を締結したものであるから、被告が澤田誠の行為を原告本人の行為と信じるについて正当な理由があったとは認められない。
三 以上のとおり、本件根抵当権設定契約等は無効というほかないので、本件各登記の抹消を求める本件請求は正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤修市)
〈以下省略〉